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2009年03月 アーカイブ

2009年03月08日

フランコフォニー

フランコフォニーとは、(頭文字が小文字の「francophonie」) フランス語圏(仏語圏)のこと。フランス共和国を含めフランス語が何らかの形で用いられている国・地域の総称。また、広義では、日本などの必ずしもフランス語圏に含まれない国・地域における、フランス語話者(「フランコフォン」= francophone)の人々で構成されるコミュニティーを指す場合もある。
フランコフォニーという単語は、1880年にフランスの地理学者・オネジム・ルクリュにより初めて用いられた。
キシラン ノート ローズ マッハ リボ デリバラ 田舎国 ゴマナ ゲート フォトモ ザンス カッコー コッチ チリン シャー タジーン メーカ ディング モード アップ クロゼ レイオ モラトリ ダイキリ サイリウム レセプト クオリア ロトロン シーラーズ プルマン タリフレ ハッチ カップ ブローシャー オレキシン タバーン ノード ビッシング ヒットラー タッチ きくま 深呼吸 ゾディア はつう パラコート マスコ 和銅 しちの トラック ビヨウ

フランス語を公用語とする国は世界で30数カ国を数え、国の数では英語に次ぐ。しかしながら、フランス語話者(「フランコフォン」= francophone)は世界中で4億3000万人程度。これは、世界最大の言語である中国語や世界でもっとも通用する英語はもとより、話者人口が3億あるいはそれ以上のスペイン語、ポルトガル語、ロシア語、アラビア語と比較しても少ない。。
フランコフォニー国際組織(OIF, Organisation Internationale de la Francophonie)に加盟している国・地域は、必ずしもフランス語が広く使用されているとは限らない。

ベトナムやラオスなど旧フランス植民地とはいえ、フランス語を公的な場で使用することのほとんどない国もあれば、東欧のポーランド、チェコ、スロヴァキアやギリシャなどのようにフランスの植民地にすらならなかった国、挙句の果てには明らかにドイツ語圏に属するはずのオーストリア(オブザーバー)まで加わっている。

英語圏やスペイン語圏、ポルトガル語圏やアラビア語圏の国もあり、「フランコフォニー国際組織の加盟国=フランス語圏」とは必ずしも言い切れない。

創設への動きは、1960年代、旧フランス領だったアフリカ諸国の指導者である、セネガルのレオポルド・セダール・サンゴール、チュニジアのハビーブ・ブルギーバらにより進められた。その後、カナダのフランス語圏であるケベック州がこの動きに加わり、1970年代になると同じくカナダの首相、ピエール・トルドーがサミット構想を掲げた。フランスはこの動きを新たな植民地政策につながりかねないとして積極的に関わらなかったが、ケベック州の仲介などでフランソワ・ミッテラン大統領期の1986年に第1回サミット開催を引き受けてから積極的に参加するようになった。

フランコフォニー・サミット
2年に一度サミット加盟国のいずれかで開催される首脳会談。フランコフォニー国際組織の基本方針が決定される。加盟国は2007年時点でオブザーバーを含め68カ国。過去に行われたサミット開催地と開催年は次の通り。
第1回フランス・パリ(1986年)
第2回カナダ・ケベックシティ(1987年)
第3回セネガル・ダカール(1989年)
第4回フランス・パリ(1991年)
第5回モーリシャス・グランドベー(1993年)
第6回ベナン・コトヌー(1995年)
第7回ベトナム・ハノイ(1997年)
第8回カナダ・モンクトン(1999年)
第9回レバノン・ベイルート(2002年)
第10回ブルキナファソ・ワガドゥーグー(2004年)
第11回ルーマニア・ブカレスト(2006年)
第12回カナダ・ケベックシティ(2008年予定)
フランコフォニー事務総長
1997年より常設されているOIFの最高執行機関。初代事務総長はエジプトのB.ブトロス・ガリ前国連事務総長(1997年-2002年)。現在は2代目のアブドゥ・ディウフ元セネガル大統領。
フランコフォニー常任理事会(CPF)とフランコフォニー閣僚会議(CMF)
CPFは事務総長の発議により、加盟国政府の代表者が参加し、事務総長の主宰で行われる会議。その役割はサミットの準備および決定事項が執行されているかの確認が主である。CMFは加盟国外相が参加する総合的な会議とそれ以外の閣僚が参加する専門会議がある。総合会議はサミット首脳会談で取りあげる議題やOIFの組織の在り方についてやサミットの加盟申請国の承認などを討議する。専門会議は文化や子ども、女性や環境問題、情報化、スポーツ、持続的発展など個別の問題について討議する。
フランコフォニー政府間機構(AIF)
AIFは上記の決議機関で決定した事項を実際に執行する行政機関。1970年にニジェールのニアメで文化技術協力機構ACCTとして発足し、現在の形態になったのは1997年から。世界各地でフランコフォニー週間(3月20日から)が設けられているが、これはACCTが1970年3月20日に発足したのにちなむ。AIFの業務は多岐にわたり、文化、芸術、教育、経済、労働、金融、情報、環境、科学技術、青年スポーツ、女性など多種多様である。本部はパリにおかれている。
ダイレクトオペレーター(直接執行機関)
AIFとは別個の執行機関。フランス語国際放送テレビ局TV5、アレキサンドリア・サンゴール大学、フランコフォニー大学機構(AIF)、フランコフォニー市長会議(AIMF)の4組織がある。

2009年03月24日

名鉄3500系電車 (初代)

3500系とは、1942年から1981年まで名古屋鉄道に在籍した電車。

車体長18m級2扉の車体を持つ釣り掛け駆動のAL車(間接自動制御車)である。基本形式としては制御電動車であるモ3500形と制御車であるク2500形が存在した。

車体 [編集]
車体はウィンドウシル・ヘッダー付、1段上昇窓である。3600系に扉を増設した形の3扉車体で登場した。間取りの関係で、のちに中央扉を埋めた部分の窓は幅がやや狭い。

ク2500形は、3両のみの存在で最後まで3扉ロングシートだったが、後位連結面にトイレ(実際は使用されないまま撤去)があったことがク2550形との相違点である。

内装 [編集]
製造当初はロングシートで、後年モ3500形とその電装解除車ク2650形が2扉セミクロスシート化された。上記窓寸法の関係で、窓とクロスシートのピッチが微妙にずれていた。

台車 [編集]
標準的なイコライザー式D-16で、晩年にはD-18に変わった。

編成 [編集]
ク2650形はモ3500形の電装解除車のため、形態が揃っていた。一方で、本来のペアであるモ3500とク2500は晩年には離れ離れになっていた。

モ3500(Mc)-[ク2650(Tc)]
モ3500(Mc)-[ク2550(Tc)]
[モ800(Mc)]-ク2500(Tc)
[モ830(Mc)]-ク2500(Tc)

沿革 [編集]
当初は3600系の西部線用改良型2扉クロスシート車として計画されたが、戦時情勢により1942年に両運転台の3扉ロングシート制御車として3501~3507と2501~2503が登場した。1949年には同型車だった知多鉄道のクハ950形を3両編入の上、全車電装されてモ3500形(元950形は3508~3510)となるが、ほどなく3506~3510の5両を電装解除の上ク2650形2651~2655とし、同時に全車両の片運転台化が行なわれた。この間、1951年にはモ3501が直角カルダン駆動の試験に供されている。モ3500形とク2650形はさらに2扉化、1960年代にセミクロス化され、当初の計画に近い姿となった。また制御器は当初3600系と同じく東芝製の油圧カム軸であったが、のち標準の東洋製電動カム軸に統一された。

1960年にモ3504が踏切事故により全焼、復旧時に3700系と同様の全金属車体に載せ換え、モ3561となった。

1981年にモ3500のうちの3両が再度両運転台化の上モ800形に編入され(3502・3503・3505→812~814)、それ以外の車両は廃車となった。モ3501とク2501が当初850系と一緒に南知多ビーチランドで保存されていたが、やはりその後撤去され現存しない。登場時の時代背景、後年の諸々の改造など、名鉄AL車の中でもかなり波乱に満ちた車歴をもつ系列であった。

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